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5-9 笑顔の仮面
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2025-12-22 11:17:17邸の中を蘭明を先頭に歩く。無明は目にするものすべてを指差しては、「あれはなに？」と答えが返ってくるまで訊ねていた。そんな無明の背中を見つめながら、清婉は心の中でずっと叫んでいた。
（無明様はいったい何を考えてるんですかっ!? 失礼にもほどがあるっ）
白群の邸にいた時はずっと大人しかった。一瞬おかしくなった時もあったが、それ以外はずっとまともだったのだ。それがどうだろう、ここに来てからというもの、紅鏡にいた頃の無明そのままだった。
（いや、いいんです！ そういう無明様も受け入れると心に決めた手前、頭ごなしに駄目とは言えない自分がいるので！）
けれどもこの状態はあまりにも目の前にいる方に迷惑だろうと、そろりと視線を巡らせる。だがしかしどういうわけか、前を歩くお嬢さまは楽し気で、それすらも楽しんでいるように見えた。
（あの無明様を初対面で受け入れられる懐の深さ！ まさかあのお方は菩薩様なのでは!?）
印象の良い蘭明は、無明がなにをしてもただくすくすと笑って許している。先程など確認もせずに勝手に庭に降りて石楠花の白い蕾を摘み、
「綺麗なお姉さん、これをあげる！」
と、蘭明に向かって差し出した無明に対して、
「あらあら、蕾が可愛らしいですわね。私にくださるのですか？ ありがとうございます」
と言って、柔らかい笑顔で対応していた。それを見て、些細なことでは怒ったりしないひとなのだな、と清婉は感心した。
姮娥の一族の邸の警備は紅鏡以上に厳重だが、皆女性の術士であった。武器を手にした彼女らは、蘭明とすれ違う時に必ず立ち止まり、頭を下げた。通り過ぎるとようやく顔を上げ、再び警備に戻る。
しかし、どこか違和感を清婉は覚えていた。それがなんなのかはわからないままだったが、そんなことをしている内に、部屋の前で立ち止まる。そこは客間ではなく、蘭明の自室だった。
「さあ、どうぞお入りください」
その部屋は女性らしい小物や棚が並べられており、通された部屋だけでもだいぶ広かったが、奥にもう一つ部屋がある間取りになっていた。もう一つの部屋は固く扉が閉ざされていたが、それを問う勇気は清婉にはなかった。
そもそも、自分が口を開いて良いかすらわからない。とにかく粗相がないように、後ろを付いて行くしかなかったのだ。
部屋にはすでに二人分の夕餉が用意されていた。
「無明殿、お付きの方も、どうぞ座って寛いでいてください。私は少し席を外します。特別な菓子を持ってきますので、先にそちらの御膳を食べながら、楽しみに待っていてください」
お香の甘い香りがずっとしている部屋で、無明と清婉は腰を下ろす。扉が完全に締まり、足音が聞こえなくなった頃、無明が清婉の袖を引いた。
「清婉、俺の予想が正しければ、ちょっとまずい状況かも」
「へ？ どういうことですか？」
無明が囁くように耳打ちするので、つられて清婉も同じように声を潜める。なんでこんなことをしているんだろう？ と首を傾げるが、無明は真面目な顔で続ける。
「とりあえず、この御膳は全部食べて。大事な時にお腹が空いていたら大変だから」
「は、はい。でもなぜ急に普通の無明様に戻ったんです？」
普通、と自分で言っていて不思議だったが、言い得て妙だった。これが、普段の無明に違いないからだ。ならば、さっきまでの"あれ"はいったいなんだったのか？
とりあえず、無明が膳に手を付け始めたので、清婉も言われた通りに箸を取り、小皿に盛られた何種類もの料理に感心する。
一つ一つの皿は小さいが、そのすべてが違う料理だった。しかもどれも味が良く、さっぱりしているのに満足感がある。
「初めて食べる料理もあって、勉強になります」
「俺は清婉の料理の方が好きだけど······まあ、悪くはないかな」
無明様······と清婉は嬉しい言葉に思わず胸がいっぱいになる。
「で、話の続きだけど、これ、持ってて」
懐から黄色い符を取り出し、清婉の懐に勝手に潜り込ませる。
「え？ え？ ちょっと、なにをっ!?」
もぞもぞと手を入れられたかと思えば、すっと離れて、無明は右手の人差し指と中指だけを立て、なにか文字を書く仕草をした。清婉の懐に入れられた符が緑の光を一瞬だけ放って、何もなかったかのように消えた。
「いい？ これから話すことを、しっかり頭に入れて、この邸から出るんだ。宿の場所はわかる？ 清婉は竜虎たちの所に戻って、」
「え、だから······どういう？ 無明様も行くんですよね？」
急にどうしたのかと清婉は不安になる。別にこそこそと出て行かなくても、堂々と戻ればいいだけだ。やっぱり宿が良いとでも言えば、失礼極まりないがあの方なら許してくれそうなのに。
「行かない。だから、お願い。言った通りに、してくれる？」
途切れ途切れの言葉に、真剣さが伝わって来る。思わず清婉は頷くしかなかった。足音が近づいて来るのを機に、無明は清婉に合図を送る。扉が開かれた時、蘭明は菓子の乗った盆を手に、そこに立っていた。
大切なモノを慈しむような、愛でるような、そんな仮面のような笑みを浮かべて。
✿〜読み方参照〜✿
無明《むみょう》、竜虎《りゅうこ》、清婉《せいえん》、蘭明《らんめい》
白群《びゃくぐん》、姮娥《こうが》、紅鏡《こうきょう》
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彩雲華胥 5-10 楊梅の実
蘭明は扉を開けたまま部屋の中を見渡した後、不思議そうに首を傾げた。しかしすぐに興味を失って、無明の方へと視線を向ける。「お付きの方は席を立たれたようですね。どちらへ行かれたのですか？」「あれ？ 変だなぁ。さっきお腹が痛いって言って、出て行ったみたいだけど、途中で会わなかった？」「そうでしたか。では丁度良いですね。食後の菓子を持って来たんです。私の手作りなんですよ。お話でもしながら食べて待っていましょう」 言って、開いていた扉を閉めた。手にした盆の上には、干して砂糖をまぶした赤黒い楊梅の実が、いくつか小皿に乗せられていた。膳の空いている場所にそれを乗せて、どうぞ、と小さく笑う。「干した梅？ 俺、初めて見たかも」「そうなんです？ 楊梅と言って、今の頃によく食べられるんですよ」 ふーんとひとつ摘まんで目の前まで運び、その赤黒い実に興味を示す。そしてそのまま口に入れると、酸っぱさは少なく、むしろ甘かったので意外だった。少し湿った果肉の粒々感も新鮮だった。「おいしい！」「ふふ。一度にたくさんはあまりお勧めしませんが、その皿に乗っている分なら問題ありませんわ」「そうなんだ。ありがとう、お姉さん」 蘭明は正面に座ると、お盆を横に置き、おいしそうに楊梅を口に入れる無明を見つめていた。 彼女にとって従者がどこへ行こうが、どうでも良かった。邸のどこかにいるならば、警護をしている護衛の術士が知らせてくれるだろう。「四神奉納祭の舞、今でも目を閉じれば瞼の裏で絵が浮かびます。それくらい、素晴らしく美しい舞でした。あの笛の音も見事で、私、本当に感動しましたのよ」「あれは、母上が舞っているのをいつも見てたから、たまたまできただけだよ」「あら、ならあなたは本当に才があるのでしょうね。普通の人なら、見ただけで、ましてやたまたまなんて、できないですもの。噂の第四公子様は、まるで才人のようですわね」 無明は目を細めて、へへっ······と笑った。しかしそれはいつもの誤魔化したような笑みではなく、どこか困ったような笑みだった。「俺を褒めても何も出ないよ、お姉さん」 甘いお香の匂いは思考を鈍らせる。無明は一瞬顔が歪んだ。「ふふ。では少しお話をしましょうか。あるひとりの、哀れな女のお話を」 ゆっくりとした口調は、耳の奥で囁かれているかのように優しく、心地好い。ぼんや
彩雲華胥 5-9 笑顔の仮面
邸の中を蘭明を先頭に歩く。無明は目にするものすべてを指差しては、「あれはなに？」と答えが返ってくるまで訊ねていた。そんな無明の背中を見つめながら、清婉は心の中でずっと叫んでいた。（無明様はいったい何を考えてるんですかっ!? 失礼にもほどがあるっ） 白群の邸にいた時はずっと大人しかった。一瞬おかしくなった時もあったが、それ以外はずっとまともだったのだ。それがどうだろう、ここに来てからというもの、紅鏡にいた頃の無明そのままだった。（いや、いいんです！ そういう無明様も受け入れると心に決めた手前、頭ごなしに駄目とは言えない自分がいるので！） けれどもこの状態はあまりにも目の前にいる方に迷惑だろうと、そろりと視線を巡らせる。だがしかしどういうわけか、前を歩くお嬢さまは楽し気で、それすらも楽しんでいるように見えた。（あの無明様を初対面で受け入れられる懐の深さ！ まさかあのお方は菩薩様なのでは!?） 印象の良い蘭明は、無明がなにをしてもただくすくすと笑って許している。先程など確認もせずに勝手に庭に降りて石楠花の白い蕾を摘み、「綺麗なお姉さん、これをあげる！」 と、蘭明に向かって差し出した無明に対して、「あらあら、蕾が可愛らしいですわね。私にくださるのですか？ ありがとうございます」 と言って、柔らかい笑顔で対応していた。それを見て、些細なことでは怒ったりしないひとなのだな、と清婉は感心した。 姮娥の一族の邸の警備は紅鏡以上に厳重だが、皆女性の術士であった。武器を手にした彼女らは、蘭明とすれ違う時に必ず立ち止まり、頭を下げた。通り過ぎるとようやく顔を上げ、再び警備に戻る。 しかし、どこか違和感を清婉は覚えていた。それがなんなのかはわからないままだったが、そんなことをしている内に、部屋の前で立ち止まる。そこは客間ではなく、蘭明の自室だった。「さあ、どうぞお入りください」 その部屋は女性らしい小物や棚が並べられており、通された部屋だけでもだいぶ広かったが、奥にもう一つ部屋がある間取りになっていた。もう一つの部屋は固く扉が閉ざされていたが、それを問う勇気は清婉にはなかった。 そもそも、自分が口を開いて良いかすらわからない。とにかく粗相がないように、後ろを付いて行くしかなかったのだ。 部屋にはすでに二人分の夕餉が用意されていた。「無明殿、お付きの方も
彩雲華胥 5-8 痴れ者を演じる理由
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彩雲華胥 5-5 蕾
無明がした生返事を承諾の意として、少陰はパンと小さな手を正面で叩き、そのまま突き出すように前に広げる。 途端、無明の足元に白い大きな花の形の陣が現れる。それは本物の花が咲くように、大きな四枚の花びらが中心で開き、そのまま身体を呑み込むように覆って閉じてしまった。 人ひとり呑み込んだその白い花は、大きな蕾になり、一瞬にして静寂が訪れる。「妙に急いでいるように思えるけど、なにかあったの？」 逢魔は最初こそ敬語だったが、その後はいつも通りに人懐っこい口調で少陰を見下ろす。 「お前たちも見て来たであろう？ あの都を。病鬼が現れ、疫病を撒いた。だが現状、問題はそこではないのじゃ」「どういうこと？」 少陰は頭が痛いとでもいうように、片手でこめかみを押さえて大きく息を吐き出す。口には尖った牙がちらり見える。「十人の少女たちがひと月半前くらいから次々に失踪していて、未だ行方がわからん。数日前から姮娥の宗主の三女も行方知れずになった。怪異なのか人の手によるものなのか、妾はここを離れられんので解決してやることも叶わない」「ひと月半くらい前っていったら、」 無明たちが紅鏡を出て、碧水に着いた頃である。これは偶然だろうか？ それともこれも企みのひとつだと言うのか。 逢魔は白笶に視線を送ると、同じことを考えていたのか小さく頷いた。偶然などではない、と。「けれども、それと病鬼がどう関わって来るんだろうね？ バラバラに切り離して考えるべき？」「都でなにか情報が得られていればいいのだが、」 少女たちの失踪はひと月半ほど前くらいから、最初は十日ほど置きに、次は五日置き、三日置きとどんどん間隔が縮まり、十人目で止まったらしい。 その後に疫病が流行り、代わりに失踪は止まった。しかし三日前に急にまたひとり増え、しかもそれは姮娥の宗主の三女だなんて。「でも少陰姐さんはどこでそんな話を聞いたの？」 ふと、疑問が浮かぶ。神子の命がない限り、この堂を離れられない少陰は、都のことなど知る由もないだろう。千里眼があるわけでもない。「それは、ここによく来て手入れをしてくれる寡黙な少女が、妾の堂の前で訴えたからじゃ。姮娥の宗主の次女だったか。事情は詳しく訊かずとも触れれば大体わかるからの、」「大胆なことをするよね、姐さんは」 見えないとしても、普通の人間に触れるだなんて。一応神
